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長崎地方裁判所 昭和51年(行ク)2号 決定 1976年11月24日

申立人 朴貞順

被申立人 大村入国者収容所長

主文

本件申立を却下する。

理由

一  本件申立の趣旨及び理由は、別紙(一)記載のとおりである。

二  当裁判所は、別紙(二)記載の理由により、本件申立は行訴法二五条三項にいわゆる本案について理由がないとみえるときにあたるものと解する。従つて、本件申立は、緊急の必要性の有無について判断するまでもなく、これを却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 篠原曜彦 安藤宗之 田中哲郎)

別紙(一)

申請の趣旨

一 被申請人が申請人に対し、昭和五一年七月一三日付横第三七号外国人退去強制令書に基き同年一一月一八日発令した、同月二五日大村港出発の大韓民国釜山港行き送還船「楓丸」への乗船命令の執行は、本案判決が確定するまでこれを停止する。

との裁判を求める。

申請の理由

一 申請人は外国人(朝鮮人)であるが、出入国管理令第二四条第四号の「旅券に記載された在留期間を経過して本邦に残留する者」に該当するとの理由により横浜入国管理事務所主任審査官から昭和五一年七月一三日付横第三七号をもつて外国人退去強制令書を発付され、その送還先を大韓民国と指定され、現在大村入国者収容所に収容されているものである。

二 而して、被申請人は申請人に対し右令書に基き昭和五一年一一月一八日、次の様な送還船への乗船命令を行なつた。即ち同月二五日大村港発大韓民国釜山港行き送還船「楓丸」に乗船せよというのである。

被申請人の右の如き発令権限は法務省設置法第一三条の一〇・入国者収容所組織規程第二条乃至第六条出入国管理令第六一条の三等に基くものである。

三 然しながら申請人は夫朴桂東が朝鮮民主主義人民共和国の国籍を有する在日朝鮮人であり、右夫は将来右共和国に帰国することを約しているので、この度どうしても申請人が送還されなければならないとすれば、大韓民国でなく朝鮮民主主義人民共和国に帰国したいことを願つている。

ところで、昭和二三年一二月一〇日国際連合総会において宣言された「人権に関する世界宣言」第一三条第二項によれば「何人も自国を含むいずれの国をも去り及び自国に帰る権利を有する」とされ同第一五条第二項によれば、「何人も、ほしいまゝに、その国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されない」とされている。日本国憲法第二二条第一項も「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住移転……の自由を有する」とも、同条二項で「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」として、外国人を含む右の権利を保障している。退去強制令書の執行中、送還先指定に関する出入国管理令第五三条もその送還先を決するに当つては、まづ本人の国籍又は市民権の属する国に送還することを立前としているがそれができないときは、本人の希望による国に送還されるものとし、前記「人権に関する世界宣言」及び日本国憲法の趣旨を生かし、被送還者の移住、国籍変更の自由を保障している。

右の様な国際、国内法令の趣旨からみて、申請人が自らの希望により夫の国籍が存する朝鮮民主主義人民共和国に希望により夫の国籍が存する朝鮮民主主義人民共和国に帰りたい旨の意思を表明している限り、その意思に則した退去手続をとるべきことは当然のことであり、それを無視して強制送還を行なうことは憲法その他の法令に違反するものといわなければならない。

四 申請人は昭和五一年一一月二三日長崎地方裁判所に対し右行政処分の取消の訴を提起したが、若し、同年同月二五日大村港発の送還船「楓丸」に乗船させられ大韓民国に送還されてしまえば、償うことのできない損害が生じることが明らかであるので、執行の停止を求める緊急の必要がある。よつて、申請の趣旨記載のような裁判を求めるため本申請に及んだ。

別紙(二)

本件乗船命令は、本件強制退去令書の執行としてなされる付随の処分であるから、本件強制退去令書の執行力が失われないかぎり、これが執行に当るべき入国警備官としては、同処分に従つて送還計画の立案及び実施をなすべき義務を負つているものというべきであり、その執行は、元来、当該入国警備官の裁量に委ねられているものと解するのほかはない。しかるに、本件本案事件において申立人の訴求するところは、本件強制退去令書自体の効力を争うことなく、単に申立人が送還先についての意見をひるがえしたことを根拠に、同令書に基づいてなされた本件乗船命令の取消を求めようというものであるところ、かような事情が後発的に、発生したからといつて、直ちに、本件強制退去令書の執行力が失われるに至るものということはできない。尤も、かような付随的な処分であつても、それ自体に裁量を逸脱した瑕疵がある場合には、これに行政処分性を認めて、行政訴訟によつてその効力を争うことができるものと解すべきであるけれども、本件にあらわれた全疎明によつても、本件本案事件がこのような場合にあたるとは認められない。

以上、これを要するに、申立人の主張を前提とするかぎり、本件強制退去令書自体の効力を争うことなく、同令書に基づく付随の処分の効力のみを争うのは訴えの利益を欠くことに帰着し、許されないものというべきである。従つて、本件申立は、行訴法二五条三項にいわゆる本案について理由がないとみえるときに該当する(なお、もし申立人が後日本件強制退去令書の効力に関する争訟を予定しながら、執行停止を求める便宜上、とりあえず本件乗船命令の効力のみを争おうというのであれば、本件申立は、行政訴法二八条を潜脱する不当な申立たるに帰しやはり失当たるを免れない〔編注:強制退去令書は横浜入国管理事務所主任審査官が発付したものであるからその処分の取消しと、執行停止申立の管轄裁判所は横浜地裁となる。〕。

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